尾張日下部 草 部 神 明 社
御祭神
天 照 皇 大 神
豊 受 大 神
由 緒
神社の記録が伝わっておらず正確なところは不詳であるが、社号「草部」は地名の「草部郷」、伊勢神宮荘園名の「草部御厨」に由来すると考えられる。江戸時代初頭の尾張藩資料(寛文村々覚書)に当神明社に関する記載があるため、三百年余前に神明社として当地に鎮座されていたことは確かである。
神明社は、古代末から中世(主に平安後期から鎌倉期頃)に伊勢神宮の荘園「御厨、御園」が各地に設置され、そこに伊勢神宮から分霊を迎えることにより各地に勧請された。その後、室町時代や江戸時代には、伊勢信仰の高まり、伊勢神宮大麻の普及などに伴い、新田開発地への神社勧請の際などに、伊勢神宮荘園以外の地にも広く祀られるようになった。
当社は、中世の「草部御厨」の地に鎮座されている神明社であることから、七百年~九百年前頃に伊勢神宮荘園に勧請された神明社の一社と思われる。
<御本殿>
<拝殿・不浄除け(蕃塀)>
<境内摂末社>
秋葉社
江戸時代に秋葉山からから秋葉権現(秋葉三尺坊大権現)を勧請した社と考えられるが、鎮座時期等の詳細は不詳。
明治の神仏分離の際、秋葉山は秋葉山本宮・秋葉神社と可睡斎に分離。秋葉様は防火の神として広く信仰されている。
御祭神は、火之迦具土大神(天照皇大神の兄弟神)。
役行者社
江戸時代後期の弘化四年(千八百四十七年)に役行者(えんのぎょうじゃ)を祀った社。
役行者は、天変地異からの守護者として信仰されていることから、弘化四年三月に発生した信濃国大地震(善光寺地震)の後、安全祈願で祀ったのではないかと考えられる。(役行者と社について ⇒ こちらから)
尾張日下部 草部神明社&竹生島神社
所在地 愛知県稲沢市日下部中町
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